〜暮らしと農場のコンセプト〜

2006年 25歳の時に結婚と同時に農場をスタートさせました。




そんなときに、『平和について考えると エネルギーにたどり着く』
という言葉に出会いました。




世界で起こる様々な争いごとを紐解いていくと、石油や石炭、天然ガスや水、またはそれらが通るライフライン上で起きていると教えてくれたこの言葉に、25歳の当時大きな衝撃を受けました。
同時に、食べるものと暮らしのエネルギーを自給するライフスタイルこそが
「自分たちにできる平和活動」と確信しました。



日本で唯一 有機農業を教えてくれる 三重県の愛農高校で出会った梨恵子と、年々増えていく子供達と、楽しみながら『地域と農場との循環を軸にした 持続可能な農と暮らし』を作る日々です。








農場が形作られるまでの経緯や、暮らしの中で大切にしてることや想いなどを記しました。

以下、少し長くなりますが、お時間ある時に読んでいただけたら嬉しいです。







〜農場での取り組み〜


水稲、畑、養鶏を営む有機農家の長男として育ちました。
人生の転機は三重県の愛農高校にて学ぶ中で有機農業の素晴らしさに気づき、将来は百姓になることを決意した時です。そして、将来は両親とは異なる経営の柱を立てるために養豚を専攻。

豚という家畜の素晴らしさに引き込まれ、将来は必ず豚を飼おうと心に決めつつも、学びを続けていく中で いつも心にひっかかかっていたことがありました。
それは、日本の畜産の現状はどこも、家畜の飼料は外国産であるということでした。

そしてもう一つ。
食用を目的とした畜産現場の技術というのは、いかに短期間で家畜を大きく育てるかということです。
その為の技術として、病気を未然に防ぐために抗生物質が使われ、繁殖や出産を確実なものとする為と、成長を促進する為にホルモン剤が使われ、密飼いによるストレスで引き起こされる病気に耐性をつける為にワクチンが接種されています。

これらの技術は、限られた面積で効率よく、海外から輸入している貴重な穀物をなるべく消費することなく家畜を生産する為に求められた技術であり、強いてはそれを買い求めている消費者が選ぶことでつくられた形です。


僕自身の想いとしては、生産技術として確立された養豚も大好きです。それは純粋にスポーツを楽しみ極めていくような感覚に似ている気持ちで、効率と結果を求めがむしゃらに働くスタンスの養豚の仕事も、大好きです。


ただ、世界では貧困や食べるもので困っている人たちが およそ8億人もいると言われる現実がある中で、海外から大量のエネルギーを使って穀物を輸入して家畜の餌としている問題と、大規模集約型の飼い方のこの現状は持続可能ではないと感じてしまったので、自分が新規で養豚を始めるときには、自分の心の中の感覚に収まる規模で、持続可能なスタイルでの養豚を始めたいと考えました。
それが、海外からの輸入飼料を買わずに、地域から出ている食べれるけれど捨てられているものを集めて育てるという形でした。 経営規模は、地域から出る捨てられるはずの食べ物の量に準じて、自ずと小規模になりました。


母校からもらった大切な言葉に 『農業者たるまえに 人間たれ!』 『汝の農場をもって 神の栄光をあらわせ』 という言葉があります。
食べ物を作るということは、その食べ物を食べる人の身体と命を作るものである。我々は神様と自分自身の良心に従い、命ある食べ物を作らなくてはいけない。 そして食べ物は命を作るということを、伝えていかなくてはいけない。 そう、解釈しています。
いまの農場があるのはそんな母校の教えに導かれてのことと思います。



しかし地域循環での豚飼いを始めてみて気がついたんですが、このスタンスは現場で学んだ技術が当てはまらないことが本当に多々ありました。
慣行養豚では半年で100kgに育て上げて出荷するのに対し、我が家の豚は一年かけてゆっくりと大きくなっています。当初は大きくなるまで倍の時間がかかるなんて想定してなく、思い描いていた経営計画なんてものが吹っ飛んでいったのですが。。こんな経営ではやっていけないと頭を抱える中で、豚肉を食べていただいた方達から『普通の豚と全然違う!』というたくさんの言葉が届きました。
倍の時間と手間がかかって育つことが、じつは豚肉の大きな価値となったのだと気がつき、このスタンスが我が家の豚飼いなのだと納得。イベリコ豚のペジョータやマンガリッツァ豚などは、あえてゆっくり一年かけて育てることで良質のお肉に仕上げていることも、後に知ることになりました。
餌の調達や作り方、放牧や種付け、出産に病気時の対処など試行錯誤の連続でしたが、2016年にようやく自分の豚飼いが持続可能な軌道に乗ったという手応えを掴むに至りました。


現状、餌は地域から出る未利用資源と名づけた、まだ食べれるけれど捨てられているモノを頂いてきて、粉砕、配合、発酵の過程を経て良質の餌としています。
餌を回収する車も、地域から頂いてくる廃食油燃料で走らせています。

餌の内容は 製麺所からでる麺や皮、賞味期限切れのパンや野菜や果物、豆腐屋さんのオカラや生産ロスの豆腐、醤油組合の絞りカスやこぼれた麦や大豆、削り節の削りカス、昆布屋さんの昆布カス、地域の皆さんから不定期でいただく小米や屑米、有機農家の繋がりから届く商品にならない様々な穀物やカボチャや芋類など。
種付け、出産に関しては、きちんと管理できる農場整備が整い、病気の豚はホメオパシーで対処できるようになりました。

こうして育てられた豚たちは毎月3頭のペースで出荷し、スライスやミンチにカット委託したものを豚一頭を丸ごと食べる4パック入りの豚肉セットに組み、毎月約200件の家庭で定期購入していただいています。


地域から出る本来なら捨てられているはずのものを回収して一手間加えることで新たな価値を創り出し、繋がってくれている家庭にストーリと一緒にお肉をお届けする、というサイクルが出来上がりました。 糞尿は良質の堆肥となり、我が家の田んぼと畑で無農薬のお米と野菜、麦や大豆となり、再び食卓に返ってきます。
地域循環と農場内循環と暮らしの輪をとても上手に繋げることができ、その循環の輪を創り出す真ん中に 豚がいます。

高校生の時に、ボンヤリだけど思い描いた豚と歩む理想の農場を生きることができてる今に 感謝する日々です。



〜暮らしに想うこと〜

自給した暮らしを確立することで、第三国から不当に搾取しない生き方を選ぶことができ、そのことが平和に繋がると思い、暮らしを創ってきました。

暮らしを創っていく中で食卓にのぼる食べ物が段々と 自家製の食材であったり調味料であったりと自給率が高まるにつれて、この上ない安心感と幸福感に満たされていきました。
そしてある時
第三国の搾取されてる人たちの暮らしを守る為 自給していく生き方が平和活動と思っていた暮らしのコンセプトは じつは自分自身の心の平和を創る生き方だったことに気がつきました。


いま、グローバルな社会に生きている我々は、良い意味でも悪い意味でも遠い国の人と繋がっています。
輸入品なのに、国産の物より安い農産物の数々、原価が分からない安価な服、過剰なサービス、絶えず出てくる新商品。それらは誰かの労働や利益を不当に搾取した、もしくは将来の子供達のたいせつな資源を過剰に搾取して作り出された結果 得られている便利さや安価な商品、物量なのかもしれません。

そして多くの人は、今より便利なものを買うために、今より快適に暮らすために、今持ってるものより新しいモノを買うために 1週間のうち5日も6日も お金を稼ぐために働かなくてはいけません。
便利さや安心や新商品を買うためにはたくさんお金が必要です。お金は大切で貴重なので、1円でも安い食べ物を探してスーパーを探し歩きます。値段は見るけど産地や作られ方まで見られてるでしょうか。
そんな無意識な買い物が大規模集約型の生産現場を生みだし、不当に安い賃金でつくられた衣類や農産物が選ばれる図式が成り立っています。




僕たちは、種をまくところから始めたものが食卓まで登ってきた時の充実感、大きな喜びと幸せを知っています。 だからこそ、同じように作り手の想いのこもった食べ物や作品に出会うと、心が満たされます。
自分と家族が食べていくために、食べ物を作るのが毎日の仕事です。その延長に農産物を買ってくださっている人たちの食卓があり、我々も経済的な意味で支えてもらっています。 そんな我が家の生活は、仕事と暮らしと遊びと趣味の時間に壁はなく、365日毎日が自分のやりたい事を思いっきり楽しみながら、悩みながら、汗かきながら、喜びながら働く日々です。
毎日家族と食べる3度の飯も毎回美味しいし、それこそが本当に幸せと思うのです。

この豊かさや幸福感こそが、安さや便利さやお金では手に入れることのできないものと思います。


食べるものを自分自身で作り、自分の暮らしを自分で作り、家族や友人と笑って過ごす時間を沢山持てる暮らし、そしてその価値観と豊かな気持ちを共有できる繋がりを持つ生き方。
そこにこそ、豊かさと自分自身の心の平和がありました。

そして自分で作り、他所から収奪しない生き方の延長にこそ 世界の平和もあると思います。
今の社会を生きる大人として、『自分の食べ物を作る生き方は、平和を創る生き方だ。』ということを、強く確信しています。


そんな暮らしの気づきの発信を農産物を通して伝えていく生き方が、今の時代を生きる親としての、自分自身としての責任と思い、自身の感じる豊かさを発信していく日々です。






〜暮らしの経歴〜

2006年、結婚と同時に農場をスタート。

週3回のアルバイトのかたわら、お米や野菜、麦や大豆を作り始めながら、両親の建てた山小屋をちゃんと暮らしていける住居にすべくリフォーム。
ユニットバスを買うまでの繋ぎとして半日で作った五右衛門風呂。
直炊きのお湯があまりに気持ち良く衝撃を受け、以降2017年の現在も修理しながらボロボロのお風呂を使い続けている。

限られたお金とたくさんある時間の中で、いかにあるもので工夫して作るかという力が身につく。
その後、豚小屋建築も始めるが、おじいさんが植えた山の木を使って、こちらも極力お金はかけずにあるもので何とか形にした。
この頃に、『平和について考えると エネルギーにたどり着く』という言葉に出会う。


2007年、長男誕生。 今まで子供なんて可愛いと思ったことなかったのに、我が子の可愛さにビビる。

2008年、豚小屋が完成し、親方から3頭の豚を譲っていただき、養豚がスタートする。

2009年、天ぷら油で車を動かしてる人たちのオフ会に参加し学ばせてもらい、返って早速天ぷらカーを自作し、天ぷら界に足を踏み入れる。
同時に『キッチン・ロケットストーブ』 『ヌカクド』 という、手作りできる簡易カマドの作り方を知り、ガスの契約を解除して薪暮らしが始まる。
夏に長女も産まれる。



2010年、麹作りからの味噌作りは当初から手を出してたが、ついに醤油麹に手を出して、醤油の仕込み開始。 山口県上関に新規建設予定の原発反対に少しではあるものの関わり、社会と現場のギャップに苦悩する。
2月に初めての豚を出荷し、養豚が業となる。


2011年、3・11パニック。
社会がどうなろうと、自分たちの暮らしを自給できる生き方は盤石と思っていただけに、そんな暮らしが奪われる事実に恐怖と憤りと怒りを覚え、原子力との共存には改めて強く反対する。 原発が爆発したことにより、上関は一旦おさまる。
海の放射能汚染を心配してヒジキを収穫し測定してもらったことなどから、ヒジキやワカメの自給も始まる。
夏に次男も産まれる。

2012年、大飯原発再稼働に反対するため、大飯に通う。
豚肉販売が保健所の営業許可が必要であったことを知り、保健所に怒られる。
2ヶ月で食肉加工施設を建設し、晴れて保健所の営業許可をもらい肉屋としてあるべきスタートを切る。
弟夫婦、チャリ旅行しに海外へ行く。

2013年、ハイエースとボンゴトラックを同時に買い換え、2代目のハイエースとボンゴがやって来る。ビール作りや光合成細菌など発酵物を調子よく作ってた、まだ時間に余裕があった時期。
春に三男も産まれる。

2014年、チャリ旅行から帰ってきた弟夫婦に豚の餌やりをお願いし、結婚して初の長期旅行へ出かける。 行き先は京都、長野、山梨、静岡、千葉。 天ぷらカーが繋いでくれた素敵な暮らしをしている人達を訪ね、天ぷら油だけで2300km、10日間の旅を無事終える。

2015年、天ぷらカービルダーとして活動開始。
この年、初めて草の生えない田んぼ作りがうまくいく。
夏に次女も産まれる。

2016年、熊本の天草で塩を作ってる方の塩釜のオーバーホールに同行させてもらい、夢の塩作りを学ぶ。
冷蔵庫が壊れたので、これを機に冷蔵庫のない暮らしをスタートする。
内臓が冷えないため、夏の暑さがこたえなくなったことに驚く。
トラクターを買い換える。

2017年、愛農高校の専攻科生、ウサちゃんをファミリーとして迎え入れ、仕事がモリモリ進む。 豚の出荷台と餌場の改造、堆肥舎建築など。
廃材での堆肥舎新築に伴い、ホイルローダー購入。
暮れに6人目も産まれる予定。

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